(音楽ライター 佐藤英輔)
★全席食事付(スペシャル・ディナーコース)/ドリンク別(税込)
【スペシャル・ディナーコース】アミューズ・前菜・メイン(肉料理)・デザート
※アレルギーなど召し上がれない食材がございましたら、ご予約時にお知らせください。
※自由席はテーブル席(アリーナ、サイド)内で、ご来店順にご案内しお席をお選びいただきます。
※指定席はボックス(表示人数)単位でのご予約となります。
BOX B は4名様までお座りいただけます。
※開演30分前までのご来場をお勧めいたします。
渡辺貞夫
『オウトラ・ヴェス~ふたたび~』
(ビクターエンタテインメント)
1933年宇都宮生れ。18歳で上京後、秋吉敏子のコージー・カルテットをはじめ数々のバンドへの参加、バークリー音楽大学への留学等を経て、日本を代表するトップミュージシャンとして、ジャズの枠に留まらない独自のスタイルで世界を舞台に活躍。2005年“愛知万博”では世界中から集まった子供達400人と、国境や文化を越えた歌とリズムの共演という長年の夢を実現させ、それらの活動は海外へ広がる。近年は国立音楽大学の招聘教授、「札幌市芸術文化財団 芸術の森事業部」の芸術・音楽監督を務め、次世代の育成にも力を注ぐ。 今年5月には25年ぶりのブラジル録音によるニューアルバム「オウトラ・ヴェス ~ふたたび~」をリリース。80歳を迎えた現在も精力的に演奏活動を行う生涯現役プレイヤーのその姿は、世界中の老若男女に勇気と感動を与えている。
1967年生れ。18歳の時にプロとして活動を始め、数多くのアーティスト達のレコーディングに参加。その力強さと優しさを兼ね備えたプレイは、アーティストからの大きな信頼を得る。1992年には「DIMENSION」を結成し、これまでに25枚のアルバムをリリース。渡辺貞夫グループの一員として20年目を迎える今日では、グループの要となる存在である。編曲やプログラミングにおいても才能を発揮し、新人アーティストのプロデュース等も手掛ける。
1969年生れ。1988年バークリー音楽大学へ入学、ギターと作・編曲を学ぶ。帰国後は主にジャズ・フュージョン系のバンドに参加し、アルバムをリリース。現在は多くのアーティストのレコーディングやツアーに参加、ジャンルの垣根を越えた幅広い活動を行っている。2005年には初のソロ・アルバム ”FEELIN´RIGHT” を発表。インストラクターとして後進の指導も行っている。2009年から渡辺貞夫グループのメンバーとして国内外のツアーに参加。
1966年生れ。15歳の時にチョッパーベースの演奏に感動し、ベースを始める。ライブハウスを中心にセッション活動を開始。90年代にブラジル音楽に傾倒し、ボサノヴァ黄金期の一人、ロベルト・メネスカルとの出会いを機にボサノヴァ生誕40周年コンサート
1959年生れ。大学在学中にプロのドラマーとしてスタートを切る。JAZZ, ROCK, POPSとジャンルに捉われないそのドラミングは、日本の音楽業界に於いて大きな支えとなる。国内外の様々なアーテイストとのツアー、レコーデイングと、そのタイトルは1000を超える。又、自己のバンド「KK JAM」「SOURCE」でのライブ演奏活動も精力的に行っている。1994年以来、渡辺貞夫グループのメンバーとして数多くのステージを共にしている。
1962年セネガル生れ。伝統楽器ジャンベ、サバール、ブガラブーの奏者。セネガル第2国立舞踏団「シノメウ」のソリストを務め、自己のグループ「ドゥグ」のドラマー、シンガーとしても活躍。2001年に拠点を日本に移し、日本人とセネガル人の友好グループ「ニュン」を結成。2003年に渡辺貞夫と出会い、今日まで数多くのステージを支える。2005年”愛知万博”、2008年 ”サラゴサ万博” での<Share the World Concert>にセネガル代表として参加。
メンフィスR&Bの重鎮、ルーファス・トーマスの娘として生れ、幼少期よりR&B, ゴスペル, ブルース, ジャズ音楽の影響を受けて育つ。1987年にアルバム ”VANEESE” でデビュー。その歌唱力が認められ、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー等トップ・アーティストと数多く共演。プロデューサー、作曲家としての才能も発揮し、ダイアナ・ロスに提供した楽曲 ”One Shining Moment” は全英トップ10入りを果たす。1997年、ディズニー映画 ”ヘラクレス” では“CLIO”役の吹き替えとサウンドトラックの挿入歌を担当。渡辺貞夫とはアルバム ”EARTH STEP” で初共演。1997年、”渡辺貞夫クリスマス・コンサート” でその歌声を披露し、好評を博した実力派歌手である。
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